メンチカツレツと柿右衛門
2008.05.31 Saturday | category:Food
『柿右衛門と鍋島』(4/5〜6/1)出光美術館(帝国劇場)に行くその途中でお昼時となり、車内でdancyuをパラパラ。ルート上にある麻布十番の洋食店EDOYAに決めた。創業1954年の有名店らしいが訪れるのは初めて。大通りから入った、麻布山入口交差点から大丸ピーコックの間にある。この通りは歩道に幅があり、EDOYAは角地にありさらに角をおとした小さな建物なので店先が広くなる。そこに50人くらいは並べそうであった。店内はごくごく普通の作りで浮ついたところがない。70年代後半から80年代初期の洋食屋の落ち着いた内装という感じだろうか。メニューはそれなりに多くおつまみのようなものもある。注文したのはポテトサラダ、コーンポタージュ、メンチカツレツ、ハンバーグステーキ。ポテトサラダは美味しかったが、上原のマルイチベーグルのほうがぼくの好みだ。メンチカツレツは球状、立体感があって早くナイフを入れたくなる衝動にかき立てられる。半分に割ると中心部はうっすらと赤味がかったレアで美しい。とすぐにレアの部分に余熱が入っていく、かなり絶妙な揚げ加減で感心した。品の良い肉質、味付けとソースで高年齢層にも指示されるメンチカツレツだと思った。味にパンチを求める向き(ぼく?)には、その見た目の迫力と違った印象にやや落胆するかも。EDOYAは山の手の大人の洋食屋さんですね。
以前読んだ川本慎次郎『赤絵有情−酒井田柿右衛門』西日本新聞社刊は面白い本で、父である十二代への批評の部分はあけっぴろげで面白い。途切れていた濁手を復活させた親子だが職人としての考え方は違っていたようだ。「線は切途切れても心は途切れない」十三代柿右衛門の飾らない人柄とは別のところにある、柿右衛門様式伝承者としての強い気概を感じる言葉だ。十四代(当代)酒井田柿右衛門『余白の美 酒井田柿右衛門』集英社新書刊も近々読んでみたい一冊。
松本 城下町の雨
2008.05.27 Tuesday | category:Travel
『クラフトフェアまつもと』は傘なしでまわれたが、女鳥羽川沿いの蕎麦屋でおそい昼食をすませた後は、雨粒が落ちてきた。この辺りは明治時代に出来た蔵が並び、城下町にふさわしい落ち着いた景観がある。雑貨店などが立ち並ぶ中町通りから一歩入る小路は人影も少なく感じが良い。墨絵の世界の日本の美が濡れてしっとりと輝いていた。
茅野 檀琢磨邸
2008.05.26 Monday | category:Life
諏訪から茅野の檀琢磨邸へ。巨大なガレージのロフトにある通称ハイジ部屋に泊めてもらう。本来は少年キャンプのスタッフが使う部屋だ。今時分は明け方やや冷え込むが、寝袋に入ることなく、ただ掛けておくだけで十分だ。恐ろしく暑い時期(短いと思うが)を除けば快適だと思う。常に発展してゆく檀邸というか3719の施設だが、今回は母屋とガレージを連結する明るいテラス、そしてテラスの一角に屋外シャワーとトイレが完成した。テラスの屋根と同様に、シャワー室の大部分も透明波板で出来ている。なので明るいし開放感がある。ゆえに外からはけっこう透けて見える。だが外は裏山、動物たちだけが棲む世界、気なるなることはないはず。さほど好天には恵まれなかったが、それでも日差しが見え隠れするなか、ルーフを開けてシャワーを浴びる開放感は素晴らしかった。ただ、ぼくが利用者第一号だったようで恐縮しています。
下諏訪 菅野温泉
2008.05.25 Sunday | category:Travel
『クラフトフェアまつもと』(5/24、25)へ茅野の檀夫妻と一緒に行くことになり、彼の家で前泊させてもらうことに。このところぐずついた天気が続いているが、23日の金曜は晴れるということで、諏訪大社詣をしてから茅野入りすることにした。出だしがやや遅かったせいか中央道は空いていた。走行車線で100キロ、追越し車線では110〜120キロくらいで流れていて、のろのろとした車はいなかった。諏訪で高速をおりて下社春宮までは街道をのんびりとゆく。春宮、秋宮とまわり、昼下がりにはやや遅く、夕刻にはまだ少し早い、そんな共同浴場にはうってつけの時分、秋宮の近くの町内会事務所(第3区事務所)の裏にひっそりとある菅野(すげの)温泉を訪ねた。頂きに火の見櫓のある町内会事務所自体も昭和の雰囲気が濃厚。小さく菅野温泉の看板、建物脇の廊下のような通路の天井の梁にはツバメの巣がいくつもある。天窓のせいか通路のなかの光はやわらかい、そして風情が感じられる。温泉も温泉の建物も良く、近所の人がうらやましく思えた。天然温泉なので東京で言えば麻布十番温泉のようなかんじだろうか。もっとここは広いのだけど。機会があったらもう一度行きたい温泉だ。
歌舞伎座百二十年團菊祭五月大歌舞伎
2008.05.21 Wednesday | category:Entertainment
知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が 歌に残せし盗人の 種は尽きねえ七里ヶ浜 その白浪の夜働き 以前を言やあ江ノ島で 年季勤めの稚児ヶ淵 百味講で散らす蒔銭を 当てに小皿の一文字 百が二百と賽銭の くすね銭せえ段々に 悪事はのぼる上の宮 岩本院で講中の 枕捜しも度重なり お手長講と札付きに とうとう島を追い出され それから若衆の美人局 ここやかしこの寺島で 小耳に聞いた祖父さんの 似ぬ声色で小ゆすりたかり 名せえ由縁の弁天小僧菊之助たぁ 俺がことだぁ。
青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ) 二幕目第一場『雪の下浜松屋の場』です。女装した白波(盗賊)の弁天小僧が呉服屋へ、因縁をつけて首尾よく金子百両をゆすり取ろうとするが、正体を見破られて…。歌舞伎にあって女(女形と劇中設定での女装)から男に戻るこの見せ場は、なぜかスカッとした心持ちにさせる。女形の演技に酔いながらも、どこかぶちこわしたいというような乱暴力がこの演目と合うのだろう。ジェンダーを行き来する弁天小僧、粋だよね。(「乱暴力」は赤瀬川原平氏の発明した言葉)
匙
2008.05.10 Saturday | category:Objects
英国のデザイナー、ジャスパー・モリソンの著作に『A Book of Spoons』というA5サイズのかわいらしい写真集がある。スプーン、匙、レンゲ、お玉、アイスクリームディッシャー、へら、しゃもじ、計量するための、調理するための、盛るための、食べるための、金属の、木製の、西洋の、東洋のものと千差万別の姿をモノクロで晒している。それらは彼の集めたコレクションの一部だと聞いてなんとなく共感を覚える。なぜならほぼ同年代であり、好みが近かったりすることを彼の作品からぼくが勝手に感じていることによるけど。彼はインタビューなどでデザイン=設計に外れた装飾は好ましくないと言っているが、決して禁欲的なミニマリストでもなく、むしろ人柄を自然に作品へ映すところなどは今風だと思う。それが出来るのは自身の好み(デザイン)がはっきり整理されかつストックされているからだ。
彼がイタリアのALESSI社へデザインを提供しているレードルシリーズは秀逸であると思う。ただしあくまでもレードルシリーズ、ブナ材によるキッチンツールとパスタ用サービングフォークのみに限る。カトラリーやポット類など他の商品群はぼくの好みではないし、残念なことにこのレードルシリーズのような道具の美や佇まいが絶対的に不足していると思う。これはもしかすると彼が個人的に鍋より匙を好んでいることに関わるのかもしれない。
奇人と異才の中国史
2008.05.08 Thursday | category:Book
井波律子著『奇人と異才の中国史』岩波新書を読む。春秋時代の孔子(前551一前479)から近代の魯迅(1881一1936)まで、約2500年の中国史からさまざまな分野で活躍した56人をとりあげたものだ。多岐にわたる登場人物はみな3ページ以内できびきびと簡潔にかつ生き生きと紹介されている。これだけでも十二分に価値のあることと思うけれど、さらに本著は、I.古代帝国の衰退(1.すべての始まり=春秋・戦国・秦・漢 2.乱世の英雄と批評精神=三国・西晋 3.花開く貴族文化=東晋・難南北朝)II.統一王朝の興亡(1.政治と詩の世界=唐・五代 2.新しい知識人たち=宋 3.世界は広がり思想は深まる=元・明)III.近代への跳躍(1.王朝交替期を生きぬく=明末清初 2.歴史と芸術をみつめなおす=清 3.西洋と向き合って=清末・民国初期)のように時代の流れの横糸構成を明確化し、56人の生涯という縦糸にしっかりと結びつけている。人と歴史のドラマが一体化したスケールの大きな、それでいて快適なテンポを保つ中国史の良書だと感じた。
さて拙い紹介はこのへんで切り上げよう。北宋の第八代皇帝の徽宗(きそう、1082一1135)は優れた書家、画家であり風流な王族として生涯を送るはずだった。しかし兄の七代皇帝が夭折したため皇帝の座に即くことになってしまった。人は皆生まれを選ぶことは出来ない。北宋を滅亡に追い込んだことも、偉大な芸術家であったことも徽宗が徽宗の人生を生きたことに尽きる。北宋(時代)にとっても徽宗(人)にとっても不幸なことだが。北宋は女真族の金に滅ぼされるが、徽宗の編み出した細く鋭い楷書の『痩金体』(そうきんたい)は滅ぼされることはなく、遠い時代をへて1996年に台湾のコンピュータ用のフォント・ソフトウェア会社DynaComwareによってデジタル・フォントとしてよみがえっている。また徽宗の院体画の絵画 『桃鳩図』(個人蔵)は現在日本の国宝に指定されている。