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杉本文楽
KAAT 15 Aug 2011
杉本文楽 木偶坊入情 曾根崎心中 付り観音廻り3月公演予定だったが震災の影響で中止になった。KAATこと神奈川芸術劇場も同時に杮落しの予定作品を失ったわけだ。そして月日が経ち杉本文楽は3日間の復活公演を開催することになった。お盆にかさなったせいか、やや足が遅かったようで3月公演の時よりも良い席、1階11列15番が確保できていた。
座席配置が可変するホールで今回標準的な座席配置だとチケットを購入時に知ったが、1階センターブロック8列までの中央の席が5席程度取り除かれ、花道の様な張り出しステージが設えてあった。9列というシートがないので、ぼくは前列から二番目、能で言ったら目付柱といった席だった。しかし何より驚いたのは、真っ暗闇の中に花道のみがスポットライトで浮かび上がり、深紅のシートクッションのみが整然と並んだ異様な光景だった。ホールに杉本さんの意向があるのかと思われたほどである。すでに杉本劇場ははじまっていた。
文楽や歌舞伎の様に隅々まで光がまわった劇場ではなく、また書割りを使わない舞台というのがわかった。闇から一人遣いの人形が現れ、三味線の前奏曲とスクリーンでの映像という冒頭のお初の観音廻りの段は、クオリティは高いがアングラ劇の様に思えた。それは好きな演出だから面白く思えた。人形遣いは皆黒衣だが、文楽特有の手摺がないので、常に全身が見えることになる。舞台と席との距離の問題もあるのかもしれないが、黒衣でも3人の男の全身があるというのはかえって人形に集中出来ないように感じた。本来照明があたっていても黒衣の存在は無しとする約束事。ゆえに照明を当てないのに黒衣とはいかに。リアリズムと決まり事が交通整理されていないような気がした。また主遣いは舞台下駄を履いて高さを調節し、足遣いを良くし、人形に足の動きを与える。人形の動きよりも、主、左、足遣いの人間の6本の足が動きまわるのというのはあまり美しい様とは思えなかった。そして主遣いの顔が見えても見えないのが文楽だと思う。それは単に顔ではなく気配なのだから、そこに関しては良い試みとはぼくには思えなかった。
舞台には書割りの代わりとなる、仏像、鳥居、光琳の紅梅白梅図もどきの暖簾、引き戸などが効果的に配置された。それらの象徴的なオブジェは見事であり、特に道行きでの橋の欄干は極めて美しく、エロスから生死、魂の浄化を強く印象づける清い橋だった。美術には高い見識と美意識、ユーモアもあり杉本好みを堪能できた。しかし心中の場、曽根崎天神の森を自らの作品、松林図2001(皇居の松)にし一双のスクリーンに写し出したのは頂けなかったと思う。天満屋の段切を勤めた嶋大夫と清治の組み合わせもいまいち盛り上がりに欠け単調だったのも残念だったところ。2010年の2月の文楽のほうが…。
| Toru Tachizawa | 23:21 | - | - | pookmark |
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